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プチ元気のコツ Vol.24

青木 愛 (あおきあい)
スポーツコメンテーター
1985年5月11日、京都府生まれ。8歳から本格的にシンクロナイズドスイミングを始め、
その後中学2年から現・代表監督の井村雅代氏に師事。
2008年の北京オリンピックにチーム最年少で出場し、チーム種目で5位入賞。
現役引退後は、メディア出演を通じてシンクロに限らず幅広いスポーツに携わっている。

青木愛さんはシンクロナイズドスイミング日本代表の一員として、チーム最年少で2008年の北京オリンピックに出場。
大会後には23歳の若さで現役を引退し、現在はスポーツコメンテーターとして活躍されています。
そんな青木さんが自らが歩んできたシンクロ人生と今後の目標、そして明るい笑顔の秘密を語ってくれました。

幼稚園のころから始めたシンクロ
高校生のときに一時期離れて……
0歳10ヶ月から近所のスイミングスクールに通い始めて、シンクロナイズドスイミングを始めたのは幼稚園のころ。いっしょに遊んでもらっていたお姉さんたちが水の中でクルクル回ったりして、カッコいいなと思ったのがきっかけですね。小学生のころにはオリンピックに出たいと思うようになり、本格的に取り組んでいきました。
実は高校生のころに一度、シンクロを離れた時期があったんですよ。練習が厳しかったのもありますし、当時の人間関係も嫌になって、練習に行かなくなったんです。でもすぐに、自分の心のなかに穴が空いたようになっていることに気がつきました。自分のなかでシンクロは、すごく大きな部分を占めていたんだなと。
ずっと目標にしてきたオリンピックには、2008年の北京で出場することができました。シンクロは日本のお家芸といわれていますし、先輩たちもメダルを獲ってきています。私たちのときは「今回は厳しい」という評価がある一方で、「シンクロだからメダルを獲るだろう」という声もあって、非常に大きなプレッシャーがありました。本番は普段は緊張する方なんですが、すごく落ち着いていい緊張状態で水に入れました。でも結果は5位。残念ながらメダルは獲れませんでしたが、自分のすべてを出し尽くすことができました。すべてをやりきった思いで、北京を最後に引退することにしたんです。
食事の楽しみも、心の持ちようも
現役時代とガラっと変わった
シンクロは水の中で全身を使うので、すごく体力を消耗するんです。食べないとすぐに体重が落ちてしまうので、現役時代はとにかく量を食べていましたね。味なんて気にしていないですし、苦痛に感じてもとにかく食べるしかなかった。その反動か、引退してからは食べることが大好きになりました。もともと好き嫌いはないんですが、今はなにを食べても美味しい(笑)。仲の良い友達とお話ししながら、美味しい御飯を食べている時間が至福のときですね。
精神面でも、現役時代は結果が勝敗で表れるので「失敗したらどうしよう」とか、後ろ向きなことを考えがちでした。でもそこから開放されて、考え方が変わりましたね。今はなにごとも前向きに捉えますし、少々の嫌なことは頭の隅っこに追いやるようにしています。美味しい御飯を食べて、よく寝て、明るく前向きに生きる。それが私の元気の秘訣ですね。
今後の目標は、2020年の東京オリンピックでキャスターを務めること。現役時代は私、マスコミが嫌いだったんですよ。「なんでこのタイミングで話を聞きに来るの」とか、「なんでその質問をするの」とか。そういう経験を生かしてアスリート目線で話を聞いて、その選手や競技のスゴさを伝えられたらと思っています。

青木 愛

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